彼女といると
自分とは違って感性が敏感なことに気付かされて
自分の鈍感さに気付く。
それが悪いこととか嫌だってわけではなくて
あ 俺にはこれが足りないっていつも思うかな。
負担ではない。
どこか冷めたところで物事を見つめていて
頭で目の前のものを見つめてしまい
情報として取り入れている・・・みんなは難しいというかもしれないが
実はとても単純なことで
感じることは微々たるものになっているような気がしたりする
なんだかね
昔、感動して涙するとか
哀しくて涙するとか
人の死に直面しても泣けなくて
泣ける要素がなくて
自分は無感動な人間なんだって思ってたことが
ずーっとあって
そうじゃなくなったのなんて
成人して暫くしてからなんだと思う。
人は裏切るもので
信用なんてできなくて
そのくせ寂しがりやで
自分も必要としなければいけないことも嫌だったのかも
逆にそうならないでおこうと思って
配慮しているつもりが格好ばかりで
結局は自分が嫌な人間像に近づいているばかり。
妄想の世界や創造の世界、画面の向こう側ばかりをみて
本質に気付かなけてない自分
いまでもその名残があるのかもしれない。
人に優しくする事でしか自分の価値を決められない
何か与えるとか
自分に果たしてできているのだろうか
それにしても首が痛い。
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