2008-03-02

見つめると言う事

ライン

自分のイメージや立ち位置、存在の大きさとか色々

自分に対する評価もそうだけども

自分で見つめる事が真実であるし事実でもあるのだけども

それがすべてではなくて

周囲の人間、他人が決めるというか作り上げている場合もあることは

理解して認めなければいけないと思う。

それを放棄してしまうと

事を上手く運ぶ事ができないしかみ合わない。

これって理論的には分かるのだけども

実際にはできなくって

それに気付いた時に自分の心の中で自分の行動や周りの反応に

矛盾を感じてしまって身動きできなくなったり

暴走してしまったりするのだろうな。

メガンテ

パルプンテを唱えたときみたいに

何が起こるかわからないけど

という感じで「自分が描いているでっかい絵に近づく方に何か動いてくれれば」という希望的観測でのみレールを敷くのははた迷惑になりかねないし

誰もついてこれないのだ。

大きな問題を解決するために描いた大きな絵を完成させるためには

問題点をさらに細かく分離させてひとつずつ

一歩一歩解決しなければいけないし

それを一気に解決するに当たって

解決までのプロセスをきちんと考えて責任を持って行わなければならない。

この責任って何も役職とか言う立場じゃなくても

個人の責任という形でついてくるものなのだってことなのだ。

なんだか難しい事いってますけど

事件は現場で起きているのであって

改革的な変化が起きるであろうでっかい絵を完成させるには

それなりの立場にならないとダメだってこと。

それまでに出来る事は細切れにして

その都度、最善を尽くして、周りをついてこさせないといけないってことなのだろう。

これってわかっているけど

いざ相手に伝えるとなるとなにやらごちゃごちゃしてしまって

纏まりなくってなかなかうまく相手に伝わらないものである。

上司はその分、やはり伝え方がうまくて

すごいなーと思うしそれを盗めればな・・・と思うのであった。

昨日、そう思いました。

まだまだ腰ぎんちゃくなのれす。

ぺいん

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